(笑)のつかない学生自治会へ

(2012年3月28日 常任委員会資料より)

■学生に通用しない「(笑)」の学生自治会

 みなさん,学生自治会執行部に属していることを友人に言いづらいと思ったことはないだろうか。ましてや家族にはもっと言いづらいと思ったことはないだろうか。周囲で学生が,学生自治会のことについて論評しているのを聞いて,何も言えなかった経験がないだろうか。執行部で,繰り返し,「学生自治会の意義」とか「自治会そもそも論」とかを「学習」させられるのに違和感を持ったことがないだろうか。

 駒場生の中で低下する学生自治への関心。なかでも,学生自治会が,学生の感覚とかけ離れたお花畑的運営で,学生に通用しない存在になっている。学生自治会は,今や,じり貧である。

 「学生自治会そもそも論」など,広範な学生のうちどれほどの人が共感できるだろうか。過去の学生自治会執行部現場はもはや「学生自治会そもそも論」教の崇拝の場のようであった。みなさんのなかでも,レベルの高い多様な関心を持っている広範な学生と異なる,学生自治会特有の雰囲気,強い違和感を感じ取った人がいると思う。私は,これを,お花畑と呼んでいる。

 要求実現第一主義の学生自治会にもはや魅力がないのは明らかである。学生のニーズや関心は多様化している。学生と大学とを横断する課題もあらわれている。

 このままでは,学生自治会の存在意義が否定的に問われることになりかねない深刻な事態である。すでに学生自治会はじり貧に陥っている。新しいタイプの学生自治会運動,日本の大学史の中で後世から評価されうる,学生自治会運動の再構成を真剣に考えなければならない。お花畑の中でものを考えてはならない。学生自治会そのものを,広範な学生,大学社会の中で客観的にとらえ,真剣に考えなければならない。

 しかし,過去の自治会は,新しい模索をすることに目を背け,お花畑の中で,これまでの学生自治会のあり方や方針を絶対化してきた。たとえば,私のこの論を過去の学生自治会で提起したなら,要求実現の否定として徹底的に糾弾されただろう。なにかを絶対化する態度というのは,学生をないがしろにする態度である。なぜなら,学生の議論よりも大切な「なにか」があると言うことだから。

 どうして,学生自治会が,これほどにも,学生に通用しない異常な状態になってきたのか。それは,日本共産党が長年にわたって裏で支配してきたからである。みなさんも,自治会が民青系だとか聞いたことがあるだろう。実際,それは事実である。日本共産党の指導下で委員長を務めてきた私が,「党派支配が許せなくなった」とカミングアウトし,内情が明らかになった。共産党に一度も所属していたことのない人は全く想像できないだろうが,共産党は,東大教養自治会を,あたかも自分の下部団体かのように操作している。署名用紙などは共産党で発案し,最後にチェックを受けている。常任委員会の議論での党外の学生の発言などの情報まで収集している。学生自治会の行事を,共産党の行事とかさならないように調整するなど,最悪の操作を行っている。このへんの非常に詳細な手口は,私の手記にまとめられている。私の手記が明らかにしたのは,数十年にわたる共産党の東大支配のほんの一端に過ぎない。

 学生自治会は,学生の自主的公的な組織である。それに対して,党派が,指導・介入するなどして,影響力を行使することはあってはならないことである。だいたい,○○系自治会など,求心力がないのは明らかである。

 しかし,これまでのお花畑学生自治会は,自主的な自治会運営を求める意見に対して,共産党員,民青同盟員を排除する主張であり,思想排除をするもの,だとか主張し,また,その前提理論として,「思想信条の違いを超えて,一致できる要求で団結する」という学生自治会運動の「原則」なるものを振り回してきた。これに,党内外の執行部学生も信じ込まされてきた。

 正副委員長がほとんど代々共産党員であることは,学生自治会が共産党によって支配されてきた端的な表れである。しかし,学生自治会の「世界」では,「学生自治会として,前回の委員長が理系だったから今回は文系などという決め方はしない。それと同様に,前回が民青だから今回は,という考え方は誤りである。民青かどうかは関係なく,毎回毎回真剣に人選をしてきた。その結果,毎年民青同盟員が正副委員長を務めているに過ぎない」などという爆笑ものの詭弁で合理化されてきた。これは実際に2011年2月の執行部研修合宿で語られたものである。これに納得してしまう学生自治会執行部がいかに広範な学生の感覚から離れ去り,特殊な固定的な価値観・世界観,お花畑の中にいたか明らかであろう。共産党支配を合理化する論理の持ち込みそのものが,学生自治会に,本質的な議論ができない風潮を持ち込み,お花畑化させている元凶としてはたらいているのだ。みなさんも,学生自治会と民青,共産党の関係について違和感を持ちながらもついてきた人がいると思う。あるいは,違和感を持って学生自治会から離れてしまった人はたくさんいる。

 みなさんのなかには,すでに,古い学生自治会の,お花畑な考え方に染まっている部分があるかもしれない。なぜなら,学生自治会の異質な雰囲気に違和感を感じた人はすでに執行部の隊列からとうの昔に離れているからである。ほんとうは,執行部に違和感を感じてやめていった人こそ,一番問題をよくわかっている。それはよしとして,ぜひ,意識的に,学生自治会の論理でなく,広範な学生,大学社会の論理で,見方で,考えてみてほしい。共産党員が主要部分を代々握ってきたなんておかしい。これは別に思想排除の主張なんかではない。そのような議論のすり替え,非本質的な政治主義的詭弁を許してはならない。党派の支配から抜け出した,自主的な,広範な学生の立場に真に立った運営を求める至極まっとうな考えである。党派が指導介入してきた異常な状態を精算してから,はじめて,広範な学生に通用する,新しいタイプの学生自治会への歩みが始まる。後の日本大学史に肯定的に語られる新しい学生自治会を作る,その担い手は,私たちである。

■全学連について

 全学連は,お花畑学生自治会の権化である。われわれの学生自治会がお花畑から脱するためには,全学連からも脱退という選択をしなければならない。

 全学連は完全にお花畑化している。自治会学校,自治会セミナーの特異な雰囲気。とても,一般学生,さまざまな関心を持つ広範な学生が参加できるものではない。

 全学連は,共産党の指導下にない学生自治会に対して,共産党系自治会のあり方を押しつける役割を果たしている。

 全学連は,共産党の直接の指導下にある。中央執行委員は,ごく一部を除いて,全て共産党員である。月1回ひらかれる中央執行委員会の前日には,それとは別に,共産党職員と中執の学生で会議を開き,事前に方針を議論している。共産党は,綱領路線の中で,学生との連帯を重視しており,その一環で,全学連を支配していることに強い自己満足を持っている。「民青系全学連」とはデマ,レッテル貼りだ,などと彼らは言っているが,彼らこそデマ,レッテル貼りのプロで,民青系どころか,共産党系であることが事実だと言うことを,私は身を以て体験した。

 活動においても,無能さが目につく。緊張感のない,内輪の活動。たとえば,彼らの作る「アンケート」は,社会調査のイロハをわきまえない幼稚なレベルのものである。これは,結局,本気で社会を変える気はなく,共産党専従に対して実績をアピールできればそれでいいという,ポーズ主義に陥っているからである。

 また,彼らは,学生自治会そもそも論を絶対化する立場から,参加の学生自治会に干渉をおこなってくる。たとえば,東大教養自治会の震災復興支援活動に対しても,学生自治会がやることではない,と,中止するよう関係者が圧力をかけてきたことがあった。Z副委員長(当時)を三鷹事務所に呼びつけて,多数の全学連,都学連役員で取り囲んで,東大教養自治会の方針がおかしいと糾弾したこともあった。学生自治会の自由で自主的な発展の妨げである。

 学生自治会の全国的組織の必要性はあると思う。しかし,今の「全学連」なる団体にその資格は全くない。共産党サイドは,「全学連」を絶対化し,そこに参加しなければ全国の学生との連帯ができないかのようにいう。しかし,今や全学連の活動に参加する自治会は10程度である。全学連に参加したら全国の学生と連帯した力になるとは,全くのお花畑の論理である。お花畑学生自治会執行部員は共感できても,広範な学生からは「(笑)」であろう。また,全学連に結集しなければ,学費値下げの闘争ができないかのように言う。それも間違いである。学費値下げ,大学予算削減の課題を扱うことと,全学連に加盟するかどうかは,別の問題である。しかも,これもまた,全学連の活動に参加しているからと言って,学費値下げや大学予算削減ストップに有意な影響を与えられているかというと,ほとんど影響を与えられていないのである。「やっています」という実績づくり以上の意味を持っていないのだ。学費値下げ,大学予算削減反対の取り組みは,「全学連」なる団体に参加せずとも,実行可能である。しかも,自由な取り組み方ができて,一般学生からも信頼される運動になり,国に影響力をおよぼすことができる運動が起こせるかもしれない。

 このような,党派的団体に所属しつづけることは,東大教養自治会のイメージを著しく傷つける。また,父母から預かった会費から,200万円を超える高額の加盟分担金なるものを支出することは背信行為に近い。社会的に説明がほとんどできない。

 「全学連」からは脱退するべきである。自由で自主的な新しい学生自治会のネットワークを構築するのもいいだろう。これまで,東大教養自治会は,「全学連」の中心的自治会となってきた。日本共産党・民青同盟は,東大教養自治会の「全学連」脱退阻止のために相当力を入れて対策をしてくるだろう。そういった,学外党派による許し難い干渉,支配行為をはねのけて,すすめてゆかなければならない。そのために,常任委員会でまず全学連加盟分担金問題を扱うことにした。加盟分担金を減額またはなくすことについては,共産党の側も有効な反論ができないからである。段階的にやっていきたい。

■新フェスについて

 新フェスはもともと共産党がつくりだしたもので,過去には,非常に政治色の強い催し物であった。新入生全員を参加させておいて,左翼的講演を聴かせたり,民青のオルグをしたりなど,やりたい放題していた。そのなごりが今の新フェスである。

 すなわち,新フェスにはもはや存在意義が無くなっている。じっさい,五月祭のリハーサルとしてしか意味がないという評判はその通りなのである。このような不必要なイベントに,なし崩し的に参加しつづけることはない。

■広範な学生の立場に立って団結を

 学外党派による指導・介入を排し,真に広範な学生の立場に立った学生自治会をともにつくってゆくうえで,大事なのは,それに反対する政党・党派による小手先の論理に対して,団結して立ち向かうことである。彼らは,自党派のヘゲモニーや全学連加盟,新フェス継続のために,さまざまな小手先の論理や巧妙な議論のすり替え,詭弁を弄してくる。彼らは政治主義の塊である。それに対して,100%の誠意で応えるのは危険である。多少政治主義的にでも,二度と,非本質的な議論,お花畑の中の議論を,学生自治会で許さない覚悟が必要だ。

■共産党員の方へ

 党員個人のみなさんの,日頃の国民の苦難軽減の取り組みに心から敬意を表します。この問題の原則的立場を下記に紹介します。

 学外の党派的指導や介入一般を排し,真に自由で自主的な学生自治会を築いてゆくことも求められています。教養学部学生自治会は教養学部生の組織であり,その活動についてはすべて教養学部生が議論し,決めるべきものです。学外での党派的「意思統一」などは,教養学部生の自主的な組織である東大教養自治会にとっていっさい必要ありません。学生自治会運動の中で起こる誤りを正すのもひとえに教養学部生自身の仕事であり、外部から指導されることではありません。一方,思想信条の違いを前提として一致した要求で団結するという学生自治会の原則はますます重要であり,堅く守ってゆかなければなりません。また,党派的指導・介入を排することは,非政治主義や中立至上主義をとることを意味しません。学生生活向上のためには,学費値下げ,大学予算増額など,政治に訴えるべきこともあり,「政治的なことはやらない」というのは正しくありません。政党・党派とも、相互尊重・不干渉の原則の下、必要な共同を惜しむべきでありません。2年サイクルの東大教養自治会にとり,OB・OGによる支援や経験の引き継ぎが運動の発展のために重要なのは言うまでもありませんから,節度を持ちつつ,むしろ公明正大に行うべきです。

――123期委員長X 退任挨拶より

 学外党派による指導・介入を排して自主的な運営をすることと,善意の政党員が学生自治会運営に参加することとは両立できます。党機関は,「党員が,党の方針に従って活動するのは当然」などと指導を行ってくるかもしれませんが,それは党内の論理を学生自治会に押しつけるものです。学生自治会のことは学生が決めます。共産党が決めるのではありません。共産党員が意見を持つことは全くいいことですが,共産党が意見を持つことは,政党による,学生自治団体への干渉です。「党員への助言,援助」などと言うのもまた,党内の論理の学生自治会,全学生,大学社会への押しつけです。

 これまで,党は,指導・介入を合理化するために,さまざまな小手先の議論,詭弁,ペテンを持ち出し,多くの学生を傷つけてきました。このようなことをしながら「学生の要求実現」などと言うのはむなしいことです。思想差別するような低レベルな学生ばかりだとお思いですか? 学生は,共産主義や日本共産党が嫌いなのではなくて,共産党の「やり方」を嫌っているのです。やり方を改めるならば,善意の党員の自治会活動への参加も,今度こそ,多くの学生に諸手を挙げて歓迎されるでしょう。


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