(2012年4月8日twitter上でX氏による)
こんにちは。日頃の奮闘に心からの敬意を表します。さて,私も,2011年3月から2012年3月まで,全学連中央執行委員を務めさせていただきましたが,結果的に,東大教養自治会が全学連から脱退という事態になり,全学連の皆様方に対して,大変申し訳なく思っているところです。私自身も,全学連から脱退という意向を持つまでにさまざまなことを考えました。そうしたなかで,結局,全学連脱退という結論を僕自身も持つに至ったのは,以下の理由からです。
まず,全学連の党派性についてですが,これはもちろんあります。しかし,党派的な運営でも,それでうまくいっていれば,それで多数の学生から信頼され,実際に,学生の苦難軽減に力を発揮していれば,ある意味必要悪と言うことで,別にいっこうにかまわないとさえ思うのです。(実際には,党派が裏で操れば,いくら「善意」からでも,必ず現場にとって不合理な政治学的力がくわわり,運動が曲がってしまうので,そのようなことはほとんどありえないのですが)
では,どうしてなのでしょうか。まず,全学連のお花畑化した状態です。「自治会セミナー」「自治会学校」などいずれも,「自治会そもそも論」の崇拝者でなければ近づけない,異様な雰囲気のもので,とても,さまざまな関心を持つ広範な学生が参加できるものではありません。何度も何度も「自治会そもそも論」を学習するなど,広範な学生のうちどれくらいの人に受け容れられるでしょうか。全学連が全国の学生を束ねているなど,完全にお花畑の論理です。今や結集校は10程度ではありませんか。しかも,その学園の全学生が全学連に結集しているわけでもありません。もはや,全学連が束ねているのは,10程度の自治会のさらに一部執行部員,100人いないくらいではないでしょうか。それなのに,「全国の学生の団結の砦」「全国の学生の連帯」「全国学生の団結の力で要求実現」などと叫ぶことにおこがましさを感じたのです。大会決議を「練り上げる」など,どれくらいの意味があるのでしょうか。明らかに,広範な学生から離れ去っている。一般学生の入り込めない別世界を形成してしまっている。そう,強く思ったのです。
つぎに,傘下自治会に対する干渉体質です。私が活動していた2年間,全学連・都学連は,何度も,まるで上部団体かのように,私や田邉君にいろいろな指図をしてきました。しかも,それが,ありがたい助言などではなくて,決まって,規約解釈などの細かいあら探しでした。都学連の副委員長(当時)は,震災ボランティア活動を「代議員大会決議に書かれていないからやるな」とすら言い放ちました。ご本人方は,今になって,「言ってない」などと取り繕い始めるのでしょうか。常に,全学連の方になにか言われないかびくびくしながらの自治会活動でした。こうしたなか,広範な学生の方向をとても向けなかったのです。この根底には,全学連的学生自治会のあり方を絶対化する思想があると思います。「あるべき『自治会』の姿」が最初からあって,それにあわせてゆかなければならないという。それからの逸脱は誤りだという。すなわち,「あるべき」を絶対化しているのです。要求実現などがいい例です。全学連のみなさんは,要求実現を,文字通り,絶対化・聖域化しています。しかし,現在の東大教養自治会は,要求実現を,否定しているのではなく,相対化しているのです。なにかを絶対化する態度というのは,学生をないがしろにする態度です。なぜなら,学生の自主的な議論よりも大切な「なにか」があるというのですから。学生自治会は,学生の声から出発する組織ではないでしょうか。そうしたら,たとえばの話,仮にの話ですが,学生の議論の中で,要求実現が不必要とされるなら,要求実現の看板を下ろすことさえ躊躇してはならないと思うのです。まあ,私自身としては,要求実現運動なり要求闘争は,今以て,学生自治会の一部門としては,幅広い学生の支持を得られると思っていますが。学生一人ひとりの声を,集めて,大学や国に実現を求める。このようなことは,学園祭実行委員会や互助会にできるでしょうか。「学生自治会」にしかできないはずです。ただ,要求実現「至上」「中心」「が目的の」「だけの」学生自治会は,すでに学生の支持を得られないと思います。また,要求実現を目的化すれば,そのあまり,手段と目的が転倒し,要求実現がポーズ主義になってしまいます。わたしは,要求実現を,目的から手段にある種格下げした東大教養自治会は,これまでの妙なポーズ主義がなくなり,大学側とも中身のある議論が出来るようになり,むしろ,今後,東大生の要求実現でいままでよりも成果を上げてくれるだろうと期待しています。現に,東大教養自治会は,いままでの「要求アンケート」などよりもずいぶん学生の要求・ニーズを汲み上げる機能の高い「学生生活実態調査」形式のアンケートをすでに2度も実施し,有益なデータが得られ,大学側にも説得力を持って提示できているのです。東大教養自治会と全学連の,要求実現に関する対立点は,全学連のみなさんが好きそうな「否定・肯定」の構図ではなく,「相対化するか・絶対化するか」なのです。そして,絶対化する態度が誤りであるのは述べたとおりです。全学連は,あくまで,「全日本学生自治会総連合」(学生の声の集合体)であり,「全日本学生要求実現運動連合」(そもそも要求実現そのものを目的として最初から集まった組織)ではないのです。これは,要求実現に限らず,平和活動,対政府闘争,新歓,その他自治会のあり方など全てについて言えることです。
常任委員会に役員が勝手に出席(もちろんオブザーバ承認はするのですが)することも多かったです。そんな中で,学生の方を向いた,自由な議論が出来るわけがありません。都学連オータムセミナーにあまり人が参加しなかったときには,参加呼びかけが甘かったと一方的に叱責されました。ASに人があまり来なかったのは,大変失礼ながら,書記局の企画がひとえにつまらなかったからではないでしょうか。その責任を,一方的に現場自治会に押しつけられるなんて,まっぴらご免です。
全学連のみなさんの顔色をうかがいながらの自治会活動を,Qさんや***君にさせたくない。私はそう強く思ったのです。
また,社会変革を志す者として,根本的に世界観的に相容れないものを感じたことも見過ごせない要因です。全学連や学生自治会の現状は今や危機的なものです。しかし,それに対して,危機感を持って,抜本的運動強化のために,現状にとらわれず,自分の頭で考えて,さまざまな改革・行動を起こす。全学連のみなさんが,そういう姿勢に欠けるのが,社会運動をしようとしている者として,世界観的に一致できないと思いました。私は,委員長退任の挨拶で,現状に危機感を持っている旨表明しましたが,これは,全学連のみなさんに対するメッセージでもあったのです。「祖学の光り輝く役割」などとぶっ飛んだことを言っている限り,それは,私から見れば,それこそ,変革者としての真剣な立場を放棄したものに映ったのです。祖学新歓号の普及がどれくらい学生の利益向上に役立つのでしょうか。全学連書記局の自己満足以上の意味が果たしてあるのでしょうか。「学生活動家」は,変革者であることを誇りにしているはずです。ところが,実践の面では,誰よりも保守的であることに,深い失望と,相容れないものを感じたのです。運動の現状に危機感を持つことさえ忘れたような人とはいっしょに社会を変えることは出来ないと思ったのです。
今回,東大教養自治会では,ようやく,本音で議論できる環境が整いました。学生の利益の擁護・発展のために,学生自治会がどう活動していけばいいのか,真剣な議論と実践がはじまっています。そこで,お願いがあるのです。どうか,ようやくはじまった,学生自治の回路を将来に残し,学生の利益向上に資するための,後輩たちの真剣な動きを,「全学連」を絶対化する立場から,その都合ひとつで,低レベルな政争に引き込まないでほしいのです。
東大教養自治会は,現在,ほぼ間違いなく,学生のさまざまな関心や要求,ニーズに応える活動を追求し,実際に特色ある活動をしています。東大女子のためのオリエンテーションは大好評でした。震災ボランティアには100人の学生がすでに参加しています。他のボランティア団体と共同で,東大生によるボランティア活動の報告会を開く準備も整いつつあります。教科書リサイクルはひきつづき大々的に行い,新入生によろこばれています。800冊以上の教科書がすでに格安で新入生の手元に渡っています。成績開示については,引き続き改善を学部に求めており,さらに,現状の中でも,より成績開示を請求しやすいように,やり方の「手引」を作成し,配布しています。現在,5月中に,学生と教員の交流会や,進振り相談会を開催しようと企画しているところです。シラバスを見やすく改善する提案も学部に行い,一部が採用されています。大学予算削減反対の訴えも行っています。署名700筆以上を集めたのはつい5ヶ月前のことです。執行部員みながクラスに入り,声を張り上げました。学生に必要とされることをがんばって実行しようとしています。それなのに,全学連から脱退する,新フェスから撤退する,こうしたごく一部のみを見て,東大教養自治会が要求実現の立場を放棄したなど,まるで学生の利益に反することをやっているかのように評価全体を一変させ,あら探しやビラによる中傷,その他建設的でない妨害行為をすることは,絶対にやめてほしいのです。これは別に,そういうことをされると困るといううち向きなものではありません。お互いに,広範な学生そっちのけで,そういう低レベルな政争に明け暮れるのは,学生の利益にならないと考えるからです。お節介ながら,全学連にとっては,そんな時間があるなら,毎年あまり質のよいとは言えない出来の「学費黒書」をもっと充実するのに使うべきです。
立場は違えど,お互い,学生の利益を第一に行動しているのです。互いに尊重し合う事はできないのでしょうか。東大教養自治会は,全学連を敵視しているわけではありません。東大生にとって不必要で利益がないと判断したに過ぎないのです。足を引っ張ろうとしているのではないのです。ですから,全学連も,東大教養自治会の足をわざと引っ張るようなことをしてほしくない。これは過ぎた願いでしょうか。
私自身,全学連的な学生の運動は,学生の利益向上にとって有益かどうかと問われたら,それはどちらかといえば迷わず有益だと思います。傘下自治会の創意をおさえこんだり,妨害したりして,内部から学生の力をそがない限りは。その点においては,全学連の今後の発展すら願っているのです。
さらに言えば,去る者追わず。もしも,いまのあり方の全学連が必要とされていると自信があるのなら,去っていってもまた戻ってくる,あるいは,未加盟の自治会が加盟してくる,という展望が持てるはずです。あるいは,東大教養が再び加盟したいと思えるような全学連を作ろうとも思えるのではないでしょうか。それくらいの度量をもってほしいというのは,またも,過ぎた願いでしょうか。東大教養自治会脱退について言えば,全学連は,もう動くには遅すぎたのです。たいへん失礼ながら,そのことを強く自覚していただきたいと思います。
最後に。もしも批判ビラを撒くならそれよりも前に,曲がりなりにも加盟自治会である東大教養自治会に,大会の報告をはやく郵送してくれませんか。私たちは,全学連・都学連の現在の委員長すら知らされていないのです。
なお,立場は違えど,人間的につながりが絶たれてしまうのはよくありません。わかりあえないのは不幸なことです。また,私自身,これまで,党や学連などの「重し」がとれたあまり,その反動で行きすぎたことを言ってきた面もありました。反省する点多です。今後,お互いに,政治主義的行動を戒め,互いの立場を守りつつも,少しでもわかりあえる方向にゆけるとよいと思います。もちろん,言うべきことは遠慮なく言いますし,自主的な立場を譲るつもりはありません。ついては,全学連のみなさんと,近いうちに,個人的にお話をする用意があることを申し添えます。もちろん,全学連脱退・新フェス撤退はもはや動かしようのない到達点であることは考慮していただきたいと思います。
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